ようやくラスト 天王古墳
鈴山古墳のすぐ北にある古墳です
案内板、ネット情報によると
【名称】天王古墳
【所在地】大阪府堺市堺区北三国ケ丘町3丁
【形状】方墳
【墳丘長】11m
【築造時期】5世紀
宮内庁により反正天皇陵の陪塚として治定されているようです
※陪塚(ばいちょう)とは
大型の古墳の周囲に隣接する小さな古墳で、大型の古墳に埋葬されている人物に関連のある人(親族や臣下)が埋葬されていたり、副葬品を埋納するために造られたと考えられている
この古墳について詳しい事はわかっていないようです
実際に訪れてみると、案内板がなければ完全に素通りしてしまうようなオーラゼロの古墳です(笑)
【行き方】
南海高野線【堺東駅】より徒歩
これにて百舌鳥古市古墳群のHPに載っているすべての古墳の紹介は終了です(たぶんすべての古墳について書いたつもりです)
へたくそな文章で紹介してきましたが、歩いて訪れた順番に書いてありますので、このブログを読んで古墳散歩の手助けになれば幸いです
せんとくんの頭みたい(笑) 鈴山古墳
反正天皇陵のすぐ東にある古墳です
案内板、ネット情報によると
【名称】鈴山古墳
【所在地】大阪府堺市堺区北三国ヶ丘町3丁
【形状】方墳
【墳丘長】22m
【築造時期】5世紀中頃
宮内庁により反正天皇陵の陪塚として治定されているようです
※陪塚(ばいちょう)とは
大型の古墳の周囲に隣接する小さな古墳で、大型の古墳に埋葬されている人物に関連のある人(親族や臣下)が埋葬されていたり、副葬品を埋納するために造られたと考えられている
ネットで調べても特にこれといったトピックはありませんでした
実際に訪れてみると、墳丘は雑草も少なく比較的に手入れがされている印象でした
また、墳丘上には枝が伐採された2本の木があり、そのシルエットを見て何となく奈良県のマスコット【せんとくん】の頭を思い出しました(笑)
【行き方】
南海高野線【堺東駅】より徒歩
歯並びがキレイな天皇 反正天皇陵古墳
仁徳天皇陵から少し北にある古墳です
Wikipedia、堺市HP、案内板、もず・ふるカードによると
【名称】反正(はんぜい)天皇陵古墳
【陵墓名】反正天皇百舌鳥耳原北陵(もずのみみはらのきたのみささぎ)
【別称】田出井山古墳
【所在地】大阪府堺市堺区北三国ケ丘町2町
【形状】前方後円墳
【墳丘長】148m
【築造時期】5世紀中頃
もず・ふるカード 表
もず・ふるカード 裏
反正天皇は第18代天皇で父親が第16代仁徳天皇、兄が第17代履中天皇、弟が第19代允恭天皇です
反正天皇は容姿端麗で生まれた頃から歯並びがとてもキレイであったらしく、【瑞歯別(みずはわけ)】という名前がつけられたほどであったといいます
この古墳は百舌鳥耳原三陵(仁徳天皇陵・履中天皇陵・反正天皇陵)の中でも規模がかなり小さいことから、反正天皇陵ではないという意見も多いらしく、同じ百舌鳥古墳群の中にあるニサンザイ古墳が宮内庁により反正天皇の陵墓参考地に治定されています
実際に訪れてみると、周囲はほぼ住宅地なので間近で見学できるのは拝所のあたりが無難かなぁと思います
拝所に来るとやはり背筋がピンと伸びる気がします(笑)
【行き方】
南海高野線【堺東駅】より徒歩
駅前古墳その4 長塚古墳
収塚古墳のすぐ南にありJR阪和線の百舌鳥駅前にある古墳です
Wikipedia、堺市HP、案内板、もず・ふるカードによると
【名称】長塚古墳
【所在地】大阪府堺市堺区百舌鳥夕雲町2丁
【形状】前方後円墳
【墳丘長】106.4m
【築造時期】5世紀中頃~後半
もず・ふるカード 表
もず・ふるカード 裏
1958年5月14日に国の史跡に指定されています
仁徳天皇陵のすぐそばにありますが墳丘が大きくて形も整っていることから、陪塚ではなく独立した古墳であると考えられているようです
実際に訪れてみると、古墳東側から墳丘をフェンス越しに近くで見ることができます
石碑も建っているので古墳オーラは一応感じました(笑)
【行き方】
JR阪和線【百舌鳥駅】より徒歩
前方部は現存せず 収塚古墳
坊主山古墳から少し南西にある古墳です
Wikipedia、堺市HP、案内板、もず・ふるカードによると
【名称】収塚(おさめづか)古墳
【所在地】大阪府堺市堺区百舌鳥夕雲町2丁
【形状】帆立貝形墳
【墳丘長】59m(現存していない前方部を含めて)
【築造時期】5世紀中頃
もず・ふるカード 表
もず・ふるカード 裏
1958年5月14日に現存している後円部が国の史跡に指定されています
宮内庁から指定はされていませんが、仁徳天皇陵の陪塚であると考えられているようです
※陪塚(ばいちょう)とは
大型の古墳の周囲に隣接する小さな古墳で、大型の古墳に埋葬されている人物に関連のある人(親族や臣下)が埋葬されていたり、副葬品を埋納するために造られたと考えられている
この古墳は円墳のように見えますが、もともとは帆立貝形墳で前方部は削られて壕は埋没してしまっています
Googleマップより
最近になって古墳の周りが整備され、上の写真の通り敷き詰めたタイルで前方部や周濠が再現されています
実際に訪れてみると、古墳の周りがキレイに整備されていて墳丘の見学がしやすいようになっていました
【行き方】
JR阪和線【百舌鳥駅】より徒歩
古墳感ゼロ 坊主山古墳
鏡塚古墳から少し南にある古墳です
ネット情報によると
【名称】坊主山古墳
【陵墓名】仁徳天皇陵り号陪塚
【所在地】大阪府堺市北区百舌鳥赤畑町2丁
【形状】円墳
【墳丘長】10m
【築造時期】不明
宮内庁により仁徳天皇陵の【り号】陪塚として治定されています
※陪塚(ばいちょう)とは
大型の古墳の周囲に隣接する小さな古墳で、大型の古墳に埋葬されている人物に関連のある人(親族や臣下)が埋葬されていたり、副葬品を埋納するために造られたと考えられている
本来は墳丘長40mほどあったと推定されているそうです
これ以上の情報は見つけられませんでした
実際に訪れてみると、この古墳は住宅地の中にひっそりとあって、あまりにも古墳オーラがないからなのか見つけるのに少し迷ってしまいました(笑)
ほとんどの人は古墳と気づかないと思いますが、【ゴミ捨て禁止 宮内庁】【犬のふんは必ず始末しましょう 宮内庁】の小さい看板を見て初めて古墳なのかとと気づく人もいるかもしれませんねぇ
【行き方】
JR阪和線・南海高野線【三国ケ丘駅】またはJR阪和線【百舌鳥駅】より徒歩
スーパーの一部? 鏡塚古墳
塚廻古墳から少し南にある古墳です
堺市HP、案内板によると
【名称】鏡塚古墳
【所在地】大阪府堺市北区百舌鳥赤畑町2丁
【形状】円墳
【墳丘長】26m
【築造時期】5世紀中頃
2014年3月18日に国の史跡に指定されています
宮内庁から特に指定されていませんが、仁徳天皇陵の陪塚と考えられているようです
※陪塚(ばいちょう)とは
大型の古墳の周囲に隣接する小さな古墳で、大型の古墳に埋葬されている人物に関連のある人(親族や臣下)が埋葬されていたり、副葬品を埋納するために造られたと考えられている
実際に訪れてみると、スーパーの駐車場の敷地内にあるような古墳という何とも言えない立地ですでおもしろいです(笑)
案内板や石碑がなければ誰もこれが古墳であるとはわからないでしょうねぇ
【行き方】
JR阪和線・南海高野線【三国ケ丘駅】より徒歩
私有地の一部? 塚廻古墳
源右衛門山古墳から少し南にある古墳です
Wikipedia、堺市HP、案内板、もず・ふるカードによると
【名称】塚廻(つかまわり)古墳
【所在地】大阪府堺市堺区百舌鳥夕雲町1丁
【形状】円墳
【墳丘長】32m
【築造時期】5世紀中頃
もず・ふるカード 表
もず・ふるカード 裏
1958年5月14日に国の史跡に指定されています
宮内庁からは特に指定をされていませんが仁徳天皇陵の陪塚だと考えられているようです
※陪塚(ばいちょう)とは
大型の古墳の周囲に隣接する小さな古墳で、大型の古墳に埋葬されている人物に関連のある人(親族や臣下)が埋葬されていたり、副葬品を埋納するために造られたと考えられている
明治45年の発掘調査で銅鏡、刀剣、勾玉などが出土しました
実際に訪れてみると、とある宗教施設の敷地内にあるような感じで、そちら側から写真を撮ろうと思ったけど人がたくさんおられたので控えました
古墳北側の駐車場越しに墳丘が見ることができ、墳丘の形がよくわかりました
【行き方】
JR阪和線・南海高野線【三国ケ丘駅】より徒歩
駅前古墳その3 源右衛門山古墳
大安寺山古墳のすぐ南東にある古墳です
案内板、もず・ふるカードによると
【名称】源右衛門山(げんえもんやま)古墳
【陵墓名】仁徳天皇陵ち号陪塚
【所在地】大阪府堺市堺区向陵西町
【形状】円墳
【墳丘長】40m
【築造時期】5世紀中頃
もず・ふるカード 表
もず・ふるカード 裏
宮内庁により仁徳天皇陵の【ち号】陪塚として治定されています
※陪塚(ばいちょう)とは
大型の古墳の周囲に隣接する小さな古墳で、大型の古墳に埋葬されている人物に関連のある人(親族や臣下)が埋葬されていたり、副葬品を埋納するために造られたと考えられている
江戸時代にこの古墳を所有していたのが源右衛門さんで、それが名前の由来となっているようです
実際に訪れてみると、三国ケ丘駅前に立地しているので交通の便は抜群です(笑)
墳丘の周囲はフェンスに囲まれていて古墳の案内板が建っているので、古墳であるということはわかりやすいけど、世界文化遺産の古墳の前にゴミ集積の箱が置かれているのは少し残念ですねぇ
【行き方】
JR阪和線・南海高野線【三国ケ丘駅】より徒歩
どこが古墳なのかよくわからない3 大安寺山古墳
茶山古墳のすぐ東隣にある古墳です
案内板、ネット情報によると
【名称】大安寺山古墳
【所在地】大阪府堺市堺区大仙町
【形状】円墳
【墳丘長】62m
【築造時期】5世紀中頃
ネット情報によると、宮内庁により仁徳天皇陵の【乙号】陪塚として治定されているみたいです
※陪塚(ばいちょう)とは
大型の古墳の周囲に隣接する小さな古墳で、大型の古墳に埋葬されている人物に関連のある人(親族や臣下)が埋葬されていたり、副葬品を埋納するために造られたと考えられている
茶山古墳の説明でも書きましたが、濠に挟まれた堤に墳丘があるという立地がとても珍しい古墳で、日本でもこの2つだけだという事らしいです
またこの古墳は百舌鳥古墳群で最大の円墳だそうです
実際に訪れてみると樋の谷古墳や茶山古墳と同じくどのあたりが古墳なのか、堤との境目がどこなのかよくわからない古墳でした
【行き方】
JR阪和線・南海高野線【三国ケ丘駅】より徒歩