古墳が城の本丸に 安閑天皇陵古墳
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古市古墳群の南にある古墳です
Wikipedia、羽曳野市HP、案内板、もず・ふるカードによると
【名称】安閑(あんかん)天皇陵
【陵墓名】安閑天皇古市高屋丘陵(ふるいちたかやのおかのみささぎ)
【別称】高屋築山古墳・高屋城山古墳
【所在地】大阪府羽曳野市古市5丁目
【墳丘長】122m
【築造時期】6世紀前半
もず・ふるカード 表
もず・ふるカード 裏
宮内庁により第27代安閑天皇の陵墓、合葬である継体天皇の皇女である神前皇女の墓として治定されています
この古墳から出土したとされるペルシャ製のガラス椀が東京の国立博物館で展示されています
安閑天皇の治世では関東~九州の広範囲に屯倉(みやけ)を大量に設置して、大和朝廷の経済的な基盤となりました
※屯倉とは
もともとは稲穀を納める官の倉の意味で、大化の改新以前の大和朝廷における直轄領および直轄の農業経営地
安閑天皇は高齢(66歳)で天皇に即位して、わずか4年で崩御されました
時は流れ室町時代後半(1479年頃)には畠山氏の居城として古墳の上に高屋城が築かれました
そのため元々の古墳の形が大きく変わり、古墳の規模は不明瞭なのだそうです
そして1575年にはこの高屋城を舞台にあの織田信長と三好康長が戦った【高屋城の戦い】があり、信長軍が勝利して高屋城は焼き討ちされて廃城になりました
高屋城・高屋城の戦いについて詳しくは下記リンクを参照して下さい
あの信長が羽曳野に来た事あるんですねぇ(笑)
それにして天皇陵を城の本丸にするとは、バチ当たりな行いと解釈するべきか、地の利を活かした上手な古墳の活用法と理解した方がええのか、ぶっちゃけた話どちらなんでしょうかね?
この古墳の案内板は後円部に設置されています(最初案内板に気づかず結構歩き回って探したのは内緒の話)
ぶっちゃけた話、案内板の設置されている位置が古墳によってバラバラなので、百舌鳥・古市古墳群古墳巡りをした時に苦労した点の1つです
小さい古墳やし案内板ないやろなぁと思ったら古墳の正面にバンと.あったり、大きい天皇陵なら前方部の拝所近くにあるのかと思ったら全然違う場所にひっそり立ってたりなど、なかなか歩数をかせぎました(笑)
古市駅から国道170号旧道を南方向に歩いていくと、拝所は道路に面していてすぐにわかるかと思います
ただこの国道は交通量が多くトラックもバンバン走ってるので、くれぐれも注意してくださいね
【行き方】
電車
近鉄電車南大阪線【古市駅】から徒歩
【駐車場情報】
古市駅前にはいくつもコインパーキングがあります
もしも安閑天皇陵だけを訪れる場合、周辺をいろいろ歩いてみてここが1番最寄りのコインパーキングかと思われます