陪塚を持っている陪塚 墓山古墳
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2019年7月8日 追記
墓山古墳は7月6日に世界文化遺産に登録されました!
羽曳野市役所の裏にある古墳です
Wikipedia、羽曳野市HP、案内板、もず・ふるカードによると
【名称】墓山(はかやま)古墳
【陵墓名】応神天皇陵ほ号陪塚
【所在地】大阪府羽曳野市白鳥3丁目
【形状】前方後円墳
【墳丘長】225m
【築造時期】5世紀初頭
もず・ふるカード 表
もず・ふるカード 裏
宮内庁により応神天皇陵の陪塚に治定されていて、1975年2月22日に国の史跡に指定されています
※陪塚(ばいちょう)とは
大型の古墳の周囲に隣接する小さな古墳で、大型の古墳に埋葬されている人物に関連のある人(親族や臣下)が埋葬されていたり、副葬品を埋納するために造られたと考えられている
上の説明文の通り陪塚は小さい古墳というのが一般的やけど、この墓山古墳は墳丘長225mと古市古墳群の中でも5番目に大きい立派な古墳なのに陪塚とは何か腑に落ちない気もするけど・・・
応神天皇陵がデカすぎるからこれぐらいの規模を持つ古墳でも陪塚扱いでOKという事か(笑)
ところがそんな扱いをされている墓山古墳の陪塚と考えられる野中古墳、向墓山古墳、浄元寺山古墳、西墓山古墳(現存していない)、西馬塚古墳の5つの古墳が周囲に存在しています
タイトル通り陪塚を持っている陪塚です
このことから考えてみても墓山古墳は応神天皇陵の陪塚ではなくて大王クラスの地位の高い人を埋葬している古墳であると推測するのが自然な流れやと思うけどなぁ
まぁあんまり素人がゴチャゴチャ言ってたら偉い人に怒られそうなので、この辺で止めとくけど(笑)
陪塚の陪塚たちも次回の記事から紹介していきます
また【墓山】という名前の由来が、古墳の堤や周濠に昔から墓地として利用されていたからという話があります
実際に訪れてみると確かに古墳の南西角に墓地がありました
古墳南西角の墓地
実際に訪れてみてもやっぱり陪塚と感じさせないそれなりの地位があった人が埋葬されていそうな立派な古墳なんやけどなぁ(笑)
場所的には羽曳野市役所の真裏にあるので探し回ることはないです!
【行き方】
近鉄電車南大阪線【古市駅】から徒歩でもそんなに遠くありません
あんまり歩きたくない人向けに(笑)
古市駅より近鉄バスで77系統【羽曳野市役所経由 藤井寺駅前行】で2つ目のバス停【羽曳野市役所前】下車すぐ
1番のりば
77系統【羽曳野市役所経由 藤井寺駅前行】は日中1時間に1本走っています
【駐車場情報】
古墳周辺に駐車場がないので古市駅前にいくつもあるコインパーキングに駐車するのが無難かと思います
黒:羽曳野市市役所前バス停
赤:コインパーキング