前方部は現存せず 収塚古墳
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坊主山古墳から少し南西にある古墳です
Wikipedia、堺市HP、案内板、もず・ふるカードによると
【名称】収塚(おさめづか)古墳
【所在地】大阪府堺市堺区百舌鳥夕雲町2丁
【形状】帆立貝形墳
【墳丘長】59m(現存していない前方部を含めて)
【築造時期】5世紀中頃
もず・ふるカード 表
もず・ふるカード 裏
1958年5月14日に現存している後円部が国の史跡に指定されています
宮内庁から指定はされていませんが、仁徳天皇陵の陪塚であると考えられているようです
※陪塚(ばいちょう)とは
大型の古墳の周囲に隣接する小さな古墳で、大型の古墳に埋葬されている人物に関連のある人(親族や臣下)が埋葬されていたり、副葬品を埋納するために造られたと考えられている
この古墳は円墳のように見えますが、もともとは帆立貝形墳で前方部は削られて壕は埋没してしまっています
Googleマップより
最近になって古墳の周りが整備され、上の写真の通り敷き詰めたタイルで前方部や周濠が再現されています
実際に訪れてみると、古墳の周りがキレイに整備されていて墳丘の見学がしやすいようになっていました
【行き方】
JR阪和線【百舌鳥駅】より徒歩