普段は見学不可 桧塚古墳
西酒呑古墳から少し西にある古墳です
Googleマップより
ネット情報によると
【名称】桧塚古墳
【所在地】大阪府堺市堺区石津北町
【形状】前方後円墳
【墳丘長】25m
【築造時期】不明
宮内庁により履中天皇陵の陪塚として治定されています
※陪塚(ばいちょう)とは
大型の古墳の周囲に隣接する小さな古墳で、大型の古墳に埋葬されている人物に関連のある人(親族や臣下)が埋葬されていたり、副葬品を埋納するために造られたと考えられている
この古墳は私有地(クボタ堺製造所)の中にあって、普段は墳丘を見学することができません
発掘調査なども行われていないみたいなので、詳しい事もわかっていません
見学できない事はわかっていたけど、とりあえずクボタの門まで来てみました(笑)
ネットで調べてみると年に1回古墳の見学会を開催しているみたいなので、どうしても見てみたいという方はそれに参加してみてください
東があれば西もある(笑) 西酒呑古墳
東酒呑古墳から少し西にある古墳です
堺市HP、ネット情報によると
【名称】西酒呑(にしさけのみ)古墳
【所在地】大阪府堺市堺区旭ヶ丘南町2丁
【形状】円墳
【墳丘長】25m
【築造時期】不明
宮内庁により履中天皇陵の陪塚として治定されています
※陪塚(ばいちょう)とは
大型の古墳の周囲に隣接する小さな古墳で、大型の古墳に埋葬されている人物に関連のある人(親族や臣下)が埋葬されていたり、副葬品を埋納するために造られたと考えられている
この古墳も東酒呑古墳と同じく名前の由来や出土品など詳しい事はわかっていないようですが、何か関連性があるんでしょうねぇ
実際に訪れてみると、チラリズムな東と違って西はフェンスで囲われているけど墳丘は見ることができます
特に案内板もなく墳丘も少し荒れているような感じでした
【行き方】
JR阪和線【百舌鳥駅】より徒歩
百舌鳥古墳群のチラリズム古墳 東酒呑古墳
七観山古墳から少し西にある古墳です
Googleマップより
堺市HP、ネット情報によると
【名称】東酒呑(ひがしさけのみ)古墳
【所在地】大阪府堺市堺区旭ヶ丘南町3丁
【形状】円墳
【墳丘長】21m
【築造時期】5世紀前半
宮内庁により履中天皇陵の【ろ号陪塚】として治定されています
※陪塚(ばいちょう)とは
大型の古墳の周囲に隣接する小さな古墳で、大型の古墳に埋葬されている人物に関連のある人(親族や臣下)が埋葬されていたり、副葬品を埋納するために造られたと考えられている
ネットでいろいろ調べてみましたが名前の由来や出土品など詳しい情報はありませんでした
上のGoogleマップを見てもらえればわかるように、古墳の周囲は住宅で囲まれていて墳丘の姿はほとんど見ることができません
実際に訪れてみると、古墳西側の個人宅のガレージに張られている半透明の波板からうっすらと墳丘が見えます
また家と家との間からチラッと見ることもできます
こんな感じで写真撮ってたら警察に通報されそうです(笑)
古市古墳群にも【隼人塚古墳】というチラリズム古墳がありますが、百舌鳥古墳群にもありました!
【行き方】
JR阪和線【百舌鳥駅】より徒歩
復元された墳丘 七観山古墳
七観音古墳のすぐ西隣にある、よく似た名前の古墳です
Wikipedia、ネット情報によると
【名称】七観山古墳
【所在地】大阪府堺市堺区旭ケ丘中町4丁
【形状】円墳
【墳丘長】56m
【築造時期】5世紀
この古墳は百舌鳥古市古墳群公式HPのリストには載っていませんが、次の古墳への通り道なので寄ってみました(笑)
すぐそばの履中天皇陵の陪塚ではないかと考えられているようです
※陪塚(ばいちょう)とは
大型の古墳の周囲に隣接する小さな古墳で、大型の古墳に埋葬されている人物に関連のある人(親族や臣下)が埋葬されていたり、副葬品を埋納するために造られたと考えられている
大正時代と戦後に発掘調査が行われて、埴輪や大量の鉄製武器や武具などが出土し、遺体が埋葬されていない可能性があるそうです
1952年に土取工事により墳丘は消滅してしまいましたが、ネットで調べてみて詳しい年はわからなかったけど墳丘が復元されました
実際に訪れてみると、特に案内板などがあるわけでもないので、知らない人には小高い展望台にしか見えません(笑)
上からの景色はまぁまぁ良かったですよ
【行き方】
JR阪和線【百舌鳥駅】より徒歩
整備計画あり? 寺山南山古墳
七観音古墳からすぐ南にある古墳です
堺市HP、案内板、もず・ふるカードによると
【名称】寺山南山古墳
【所在地】大阪府堺市西区上野芝町1丁
【形状】方墳
【墳丘長】44.8m×36.3m
【築造時期】5世紀初頭
もず・ふるカード 表
もず・ふるカード 裏
2014年3月18日に国の史跡に指定されています
すぐそばの履中天皇陵の外濠に食い込むように造られているため陪塚ではないかと考えられているみたいです
※陪塚(ばいちょう)とは
大型の古墳の周囲に隣接する小さな古墳で、大型の古墳に埋葬されている人物に関連のある人(親族や臣下)が埋葬されていたり、副葬品を埋納するために造られたと考えられている
堺市はこの寺山南山古墳を築造当時の姿に復元・整備するそうです
訪れる人たちにとっては古墳が出来た当時の姿を実際に見れてええ感じでしょうね
詳しくは下記リンクを参照してください
実際に訪れてみると、周囲はフェンスで囲われていて墳丘に近づくことはできませんでした
整備しているような感じも全くなかったけど、近いうちに工事が始まるんですかねぇ
【行き方】
JR阪和線【百舌鳥駅】より徒歩
キレイな円形 七観音古墳
旗塚古墳から少し西にある大仙公園内の古墳です
堺市HP、案内板、もず・ふるカードによると
【名称】七観音古墳
【所在地】大阪府堺市堺区旭ヶ丘北町5丁
【形状】円墳
【墳丘長】32.5m
【築造時期】5世紀中頃
もず・ふるカード 表
もず・ふるカード 裏
2014年3月18日に国の史跡に指定されています
宮内庁により治定はされていませんが、すぐ南にある履中天皇陵の陪塚と考えられているようです
※陪塚(ばいちょう)とは
大型の古墳の周囲に隣接する小さな古墳で、大型の古墳に埋葬されている人物に関連のある人(親族や臣下)が埋葬されていたり、副葬品を埋納するために造られたと考えられている
大仙公園の整備によってキレイな円形に整備されているので原型とは形状が少し異なっているようです
実際に訪れてみると、確かにキレイな円形に整備されていてぐるっと1周できますが、墳丘には登れないようです
私が訪れた時は何もなかったけどサツキやツツジが植えられているみたいなので、タイミングが合えば墳丘に咲く花が見られるでしょう
【行き方】
JR阪和線【百舌鳥駅】より徒歩
特に印象なし(笑) 旗塚古墳
グワショウ坊古墳のすぐ西隣にある古墳です
堺市HP、案内板、もず・ふるカードによると
【名称】旗塚古墳
【所在地】大阪府堺市百舌鳥夕雲町3丁
【形状】帆立貝形古墳
【墳丘長】57.9m
【築造時期】5世紀中頃
もず・ふるカード 表
もず・ふるカード 裏
2014年3月18日に国の史跡に指定されています
この古墳についてあまり詳しくわかっていませんが、埴輪などが出土しているそうです
実際に訪れてみると、案内板や石碑もあって古墳アピールは感じたけど、これといった特徴もなく名前も普通なので特に印象には残りませんでした(笑)
【行き方】
JR阪和線【百舌鳥駅】より徒歩
お坊さんの名前?? グワショウ坊古墳
大仙公園内の鳶塚古墳からすぐ西にある古墳です
堺市HP、案内板、もず・ふるカードによると
【名称】グワショウ坊古墳
【所在地】大阪府堺市堺区百舌鳥夕雲町3丁
【形状】円墳
【墳丘長】61m
【築造時期】5世紀後半
もず・ふるカード 表
もず・ふるカード 裏
2014年3月18日に国の史跡に指定されています
百舌鳥古墳群の中でも最大級の円墳で、全国的にも有数の規模を誇っています
この古墳で1番気になるのがやっぱり【グワショウ坊】という名前の由来かと思いますが、ネットで色々調べてみて正確な由来は分かっていないみたいですが、グワショウという名前のお坊さんがこの土地を所有していたのではないかと推測されているみたいです
グワショウってどんな漢字なんですかねぇ?
実際に訪れてみると、結構周りに雑草が生えていたのであまりよくわかりませんでしたが、案内板や石碑も建っていて墳丘のシルエットもなんとなくわかったので古墳やなと一応わかるかと思います(笑)
【行き方】
JR阪和線【百舌鳥駅】より徒歩
リスト外2つまとめて 鳶塚古墳・原山古墳
この2つの古墳は銭塚古墳から少し北の大仙公園内に隣同士に並んであります
百舌鳥古市古墳群公式HPには2つともリストアップされていませんが、とりあえず訪れてみました(笑)
堺市HP、案内板、ネット情報によると
【名称】鳶塚古墳
【所在地】大阪府堺市堺区百舌鳥夕雲町2丁
【形状】円墳
【墳丘長】21m
【築造時期】5世紀後半
【名称】原山古墳
【所在地】大阪府堺市堺区百舌鳥夕雲町2丁
【形状】円墳
【墳丘長】25m
【築造時期】5世紀後半
どちらの古墳も昭和30年ぐらいに墳丘は消滅しましたが、平成10年に行われた調査を基に墳丘が復元されています
実際に訪れてみると、確かに復元された墳丘はあるけど、周りの公園の芝生と完全に同化していて案内板がなければ全く古墳とはわからないです
間違いなく素通りですね(笑)
周囲は古墳だらけなので、時間があればついでに訪れてみて下さい
【行き方】
JR阪和線【百舌鳥駅】より徒歩
学校敷地内の古墳 銭塚古墳
東上野芝町1号墳から少し北にある古墳です
堺市HP、ネット情報によると
【名称】銭塚(ぜにづか)古墳
【所在地】大阪府堺市堺区東上野芝町1丁
【形状】帆立貝形前方後円墳
【墳丘長】72m
【築造時期】5世紀後半
2014年に国の史跡に指定されています
現存している墳丘は円墳のような形をしているけど、明治期あたりまでは前方後円墳の形を留めていたそうです
1981年、82年、2007年に大阪府教育委員会による発掘調査が行われて、元々の古墳の形状が判明し埴輪などが出土しました
現在では墳丘の周りが整備され、かつての墳丘の形がわかようになっています
Googleマップより
ただこの古墳は大阪府立堺支援学校の敷地内にあるので、残念ながら自由に見学できません
実際に訪れてみると、近づくことはできませんが敷地の外から遠巻きに見ることはできます
正直なところ、古墳なのかあまりわかりませんでした(笑)
【行き方】
JR阪和線【百舌鳥駅】より徒歩