近寄る事ができない 二ツ塚古墳
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応神天皇陵すぐ東側に隣接している古墳です
Wikipedia、羽曳野市HP、ネット情報によると
【名称】二ツ塚古墳
【所在地】大阪府羽曳野市誉田6丁目
【形状】前方後円墳
【墳丘長】110m
【築造時期】4世紀後半
宮内庁により治定されているのかどうか確認できませんでしたが、応神天皇陵の域内陪塚とされているようです
※陪塚(ばいちょう)とは
大型の古墳の周囲に隣接する小さな古墳で、大型の古墳に埋葬されている人物に関連のある人(親族や臣下)が埋葬されていたり、副葬品を埋納するために造られたと考えられている
築造されたとされる年代を見てみると、二ツ塚古墳が4世紀後半に造られて、その数十年後の5世紀前半に二ツ塚古墳を避けるようにして応神天皇陵が造られたみたいです
Googleマップより
上の写真を見ると確かに応神天皇陵の東側の形が二ツ塚古墳を避けるように、いびつな形状になっているのがわかります
いびつな形にしてまでも築造されたということから考えて、応神天皇陵とかなり密接な関係であった人が埋葬されているんでしょうねぇ
実際に訪れてみると、隣接するテニスコートから遠巻きに見ることができます
地図を見ながら歩き回ってみたけど、どこからも近寄ることができませんでした
近くて遠い古墳でした(笑)
行き方・駐車場情報は応神天皇陵の記事を参照して下さい