どちらの陪塚? 西馬塚古墳
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2019年7月8日 追記
西馬塚古墳は7月6日に世界文化遺産に登録されました!
墓山古墳のすぐ南東にある古墳です
案内板、もず・ふるカード、ネット情報によると
【名称】西馬塚(にしうまづか)古墳
【陵墓名】応神天皇陵は号陪塚
【所在地】大阪府羽曳野市白鳥3丁目
【形状】方墳
【墳丘長】45m
【築造時期】5世紀後半
もず・ふるカード 表
もず・ふるカード 裏
宮内庁により応神天皇陵の陪塚として治定されているけど、すぐそばにある墓山古墳の陪塚ではないかとの説もあるようです
※陪塚(ばいちょう)とは
大型の古墳の周囲に隣接する小さな古墳で、大型の古墳に埋葬されている人物に関連のある人(親族や臣下)が埋葬されていたり、副葬品を埋納するために造られたと考えられている
実際に上に載せているもず・ふるカードには応神天皇陵陪塚と書かれている一方、百舌鳥・古市古墳群公式HPには墓山古墳の付属墳と考えられていると書かれています
一体どちらが正解なんでしょうかねぇ?
後世になって墳丘の一部が大きく削られてしまっていて当時の原型はとどめていないようです
実際に訪れてみると、入り組んだ住宅地の真ん中にありながら結構古墳の姿を見ることができました
ちゃんと案内板も設置されているしなかなか優秀ですねぇ(笑)
ただホンマに住宅街の中なので、見学に行く際はくれぐれもマナーを守ってくださいね!
行き方・駐車場情報は墓山古墳の記事を参照して下さい