陪塚の陪塚その2 野中古墳
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世界文化遺産に登録されている、古市古墳群のほぼ中央にある古墳です
Wikipedia、藤井寺市HP、案内板、もず・ふるカードによると
【名称】野中古墳
【所在地】大阪府藤井寺市野中3丁目
【形状】方墳
【墳丘長】一辺37m
【築造時期】5世紀中頃
もず・ふるカード 表
もず・ふるカード 裏
1995年2月21日に国の史跡に指定されています
築造された当時とはかなり変形しているらしく、古墳とは認識されず【うらやぶ】と呼ばれるほど荒廃していた時期もあったそうです
1964年に大阪大学の文学部国史研究室による発掘調査が行われて、大量の須恵器、土師器、鉄製の武器や武具などが出土して、一躍脚光を浴びるようになりました
中には国の重要文化財に指定された甲冑もあります
このような出土品から野中古墳は墓山古墳に埋葬されている人に仕えていて、軍事を担当する地位にあった人が葬らてれいると考えられています
応神天皇陵の陪塚である墓山古墳の陪塚が野中古墳ということですな
※陪塚(ばいちょう)とは
大型の古墳の周囲に隣接する小さな古墳で、大型の古墳に埋葬されている人物に関連のある人(親族や臣下)が埋葬されていたり、副葬品を埋納するために造られたと考えられている
実際に訪れてみると住宅街の中に位置し、案内板がなければただの空き地に工事用の土砂を積み上げてしばらく時間が過ぎた感じにしか見えませんでした(笑)
古墳の周囲には特にフェンスなども設置されていないので立ち入る事も可能かと思われるけど、訪れた日は雨上がりでぬかるんでそうやったので遠巻きに見学しました
あんまり古墳オーラはありませんでした(笑)
行き方・駐車場情報は墓山古墳の記事を参照して下さい