親孝行な娘が名前の由来 衣縫塚古墳
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宮の南塚古墳から少し北にある古墳です
案内板、ネット情報によると
【名称】衣縫塚(いぬいづか)古墳
【陵墓名】允恭天皇陵ろ号陪塚
【所在地】大阪府藤井寺市国府1丁目
【形状】円墳
【墳丘長】20m
【築造時期】5世紀後半
宮内庁により允恭天皇陵の陪塚に治定されています
※陪塚(ばいちょう)とは
大型の古墳の周囲に隣接する小さな古墳で、大型の古墳に埋葬されている人物に関連のある人(親族や臣下)が埋葬されていたり、副葬品を埋納するために造られたと考えられている
平安時代にこの古墳のそばに衣縫造金繼(きぬぬいのみやつこかねつぐ)という人が住んでいて、その娘がとても親孝行で両親が亡くなった後も嫁がずにずっと両親の墓守をしていたそうで、【衣縫孝女碑】という石碑がこの古墳の上に明治時代まで建っていたそうです
これが衣縫塚古墳の名前の由来ですね
その石碑は現在この古墳の少し南、宮の南塚古墳すぐ北にある潮音寺の境内に移設されています
実際に訪れてみると三方は住宅に囲まれていて、西側の【国府衣縫塚公園】から古墳を見ることができます
あんまり古墳オーラはありませんね(笑)
行き方・駐車場情報は鍋塚古墳の記事を参照して下さい