2つで1つ 雄略天皇陵古墳
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津堂城山古墳の南西にある古墳です
Wikipedia、案内板、もず・ふるカードによると
【名称】雄略(ゆうりゃく)天皇陵古墳
【陵墓名】雄略天皇丹比高鷲原陵(たじひのたかわしのはらのみささぎ)
【別称】高鷲丸山古墳(島泉丸山古墳)+高鷲平塚古墳(島泉平塚古墳)
【所在地】大阪府羽曳野市島泉8丁目
【形状】円墳(高鷲丸山古墳)+方墳(高鷲平塚古墳)
【墳丘長】円墳径75m+方墳一辺50m
【築造時期】5世紀後半
もず・ふるカード 表
もず・ふるカード 裏
実際に誰が埋葬されているかはわかっていませんが宮内庁により高鷲丸山古墳と高鷲平塚古墳の2つの古墳を合わせて第21代雄略天皇の陵として治定されています
形状としては前方後円墳を前方部と後円部を分断したような感じになっています
雄略天皇は第19代允恭天皇の第5皇子で、兄の第20代安康天皇の死後天皇に即位して各地の有力な豪族を力でねじ伏せて中央集権体制が始まったとされています
武力をもってブイブイいわせていたせもあってか、英雄であったとか暴君であったとかいろいろ言われているみたいです
実際に訪れてみると、拝所は方墳(高鷲平塚古墳)の方にあります
円墳(高鷲丸山古墳)北側からある程度古墳の全体像が見えて、円墳と方墳の2つの古墳があることがわかります
古墳にはいろんな形があるんですねぇ(笑)
【行き方】
近鉄南大阪線【高鷲駅】から徒歩
【駐車場情報】
古墳より少し南にコインパーキングがあります
黒:高鷲駅
赤:コインパーキング