全国第3位の大きさ 履中天皇陵古墳
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乳岡古墳の南東にある古墳です
Wikipedia、堺市HP、案内板、もず・ふるカードによると
【名称】履中(りちゅう)天皇陵古墳
【陵墓名】履中天皇百舌鳥耳原南陵(もずのみみはらのみなみのみささぎ)
【別称】石津ヶ丘古墳・上石津ミサンザイ古墳
【所在地】大阪府堺市西区石津ヶ丘
【形状】前方後円墳
【墳丘長】365m
【築造時期】5世紀初頭
もず・ふるカード 表
もず・ふるカード 裏
実際の被葬者はわかっていませんが、宮内庁により第17代履中天皇の陵として治定されています
古事記や日本書紀によると、父の第16代仁徳天皇の崩御後に弟の住吉仲皇子が皇位を奪おうと反乱を起こしたが、同じく弟である後の第18代反正天皇に命じてこれを討ち天皇に即位しました
在位中に諸国に【国史(ふみひと)】と呼ばれる書記官を配置して国内情勢などを報告させたりして、わずか6年で病気により崩御されたそうです
実際に訪れてみると、さすが全国第3位の大きさだけあって立派な古墳で拝所も広々としています
周囲を1周はしてませんが時間かかるでしょうねぇ
後円部には高さはありませんが展望台的なものも造られていました
後円部の展望台
展望台からの眺めはそこそこでした(笑)
【行き方】JR阪和線【上野芝駅】より徒歩