どこが古墳なのかよくわからない2 茶山古墳
永山古墳からすぐ東にある古墳です
案内板、ネット情報によると
【名称】茶山古墳
【所在地】大阪府堺市堺区大仙町
【形状】円墳
【墳丘長】56m
【築造時期】5世紀中頃
ネット情報によれば、宮内庁により仁徳天皇陵の【甲号】陪塚として治定されているみたいです
※陪塚(ばいちょう)とは
大型の古墳の周囲に隣接する小さな古墳で、大型の古墳に埋葬されている人物に関連のある人(親族や臣下)が埋葬されていたり、副葬品を埋納するために造られたと考えられている
濠に挟まれた堤に墳丘があるという立地は大変珍しいそうで、ここ以外には次回に紹介する大安寺山古墳だけだそうです
実際に訪れてみると、少し前に紹介した樋の谷古墳のようにどの部分が古墳の墳丘なのかよくわからなかったです
【行き方】
JR阪和線・南海高野線【三国ケ丘駅】より徒歩
中央環状線沿いの古墳 永山古墳
丸保山古墳のすぐ北にある古墳です
Wikipedia、堺市HP、案内板、もず・ふるカードによると
【名称】永山古墳
【陵墓名】仁徳天皇陵と号陪塚
【所在地】大阪府堺市堺区東永山園
【形状】前方後円墳
【墳丘長】100m
【築造時期】5世紀
もず・ふるカード 表
もず・ふるカード 裏
宮内庁により仁徳天皇陵の【と号】陪塚として治定されています
※陪塚(ばいちょう)とは
大型の古墳の周囲に隣接する小さな古墳で、大型の古墳に埋葬されている人物に関連のある人(親族や臣下)が埋葬されていたり、副葬品を埋納するために造られたと考えられている
また、周濠は2016年4月11日に堺市の史跡に指定されています
特に詳しい調査は行われていないので詳細はわからないみたいです
ネット情報によると濠は結構最近まで釣り堀として利用されていたみたいです
実際に訪れてみると、中央環状線という交通量の多い道路沿いにあるので結構車の音がうるさくて、あまりゆっくり見学できる雰囲気ではありません
以前釣り堀であったという壕には蓮の花が咲いていました
【行き方】
JR阪和線・南海高野線【三国ケ丘駅】より徒歩
百舌鳥古墳群最大の帆立貝形古墳 丸保山古墳
菰山塚古墳のすぐ東にある古墳です
Wikipedia、堺市HP、案内板、もず・ふるカードによると
【名称】丸保山(まるほやま)古墳
【陵墓名】仁徳天皇陵へ号陪塚
【所在地】大阪府堺市堺区北丸保園
【形状】帆立貝形古墳
【墳丘長】87m
【築造時期】5世紀中頃
もず・ふるカード 表
もず・ふるカード 裏
宮内庁により仁徳天皇陵の【へ号】陪塚として治定されています
※陪塚(ばいちょう)とは
大型の古墳の周囲に隣接する小さな古墳で、大型の古墳に埋葬されている人物に関連のある人(親族や臣下)が埋葬されていたり、副葬品を埋納するために造られたと考えられている
また、周濠・前方部は1972年7月25日に国の史跡に指定されています
タイトル通り百舌鳥古墳群の中でも最大の帆立貝形古墳で詳しい発掘調査などは行われていないようです
実際に訪れてみると、すぐそばの菰山塚古墳と違って墳丘(後円部)は木々に覆われている一方、前方部は木々は少なく広場のようになっていました
後円部は宮内庁、周濠と前方部は堺市の管理ということで、堺市が木々を伐採したんですかねぇ
【行き方】
JR阪和線・南海高野線【三国ケ丘駅】より徒歩
一本松が印象的 菰山塚古墳
樋の谷古墳から少し北にある古墳です
堺市HP、案内板、ネット情報によると
【名称】菰山塚(こもやまづか)古墳
【陵墓名】仁徳天皇陵ほ号陪塚
【所在地】大阪府堺市堺区南丸保園
【形状】帆立貝形古墳
【墳丘長】33m
【築造時期】5世紀前半
宮内庁により仁徳天皇陵の【ほ号】陪塚として治定されています
※陪塚(ばいちょう)とは
大型の古墳の周囲に隣接する小さな古墳で、大型の古墳に埋葬されている人物に関連のある人(親族や臣下)が埋葬されていたり、副葬品を埋納するために造られたと考えられている
現状では円墳状の墳丘が残っているだけですが、元は前方部が南向きの帆立貝形古墳であったと考えられています
実際に訪れてみると、住宅街の中にあるせいなのか墳丘は比較的キレイに整備されている感じで、墳丘に生えている一本松がやけに印象的でした
何本か木の切り株が見えましたが、周りの景観に配慮して1本だけ松を残している感じなんですかねぇ?
【行き方】
JR阪和線、南海高野線【三国ケ丘駅】より徒歩
どこが古墳なのかよくわからない 樋の谷古墳
銅亀山古墳から少し北にある古墳です
案内板、ネット情報によると
【名称】樋の谷古墳
【陵墓名】仁徳天皇陵丙号陪塚
【所在地】大阪府堺市堺区南丸保園・大仙町
【形状】円墳
【墳丘長】47m
【築造時期】5世紀中頃
宮内庁により仁徳天皇陵の【丙号】陪塚として治定されています
※陪塚(ばいちょう)とは
大型の古墳の周囲に隣接する小さな古墳で、大型の古墳に埋葬されている人物に関連のある人(親族や臣下)が埋葬されていたり、副葬品を埋納するために造られたと考えられている
特に調査が行われたという記録もなく、果たして本当に古墳なのかどうか疑われているような古墳なのだそうです
調査しようにも宮内庁が許可してくれませんしねぇ
実際に訪れてみると、正直どのあたりが樋の谷古墳なのか境目がよくわかりませんでした(笑)
【行き方】
JR阪和線【百舌鳥駅】より徒歩
墳丘が亀の形? 銅亀山古墳
狐山古墳のすぐ北にある古墳です
Wikipedia、案内板、もず・ふるカードによると
【名称】銅亀山(どうがめやま)古墳
【陵墓名】仁徳天皇陵に号陪塚
【所在地】大阪府堺市堺区大仙町
【形状】方墳
【墳丘長】26m以上
【築造時期】5世紀中頃
もず・ふるカード 表
もず・ふるカード 裏
宮内庁により仁徳天皇陵【に号】陪塚として治定されています
※陪塚(ばいちょう)とは
大型の古墳の周囲に隣接する小さな古墳で、大型の古墳に埋葬されている人物に関連のある人(親族や臣下)が埋葬されていたり、副葬品を埋納するために造られたと考えられている
方墳とされていますが平成23年の発掘調査によって前方後円墳、帆立貝形古墳、あるいは前方後方墳の可能性も指摘されたそうです
そのため墳丘長も26m以上ある可能性があります
古墳名の由来として、墳丘の形が亀に似ているからという話がネット情報でありました
実際に訪れてみると、確かに墳丘がこんもりしてて亀に似てるかなぁとも思えます
【行き方】
JR阪和線【百舌鳥駅】より徒歩
キツネの恩返し? 狐山古墳
竜佐山古墳のすぐ西にある古墳です
Wikipedia、案内板、もず・ふるカードによると
【名称】狐山(きつねやま)古墳
【陵墓名】仁徳天皇陵は号陪塚
【所在地】大阪府堺市堺区大仙中町
【形状】円墳
【墳丘長】30m
【築造時期】5世紀後半
もず・ふるカード 表
もず・ふるカード 裏
宮内庁により仁徳天皇陵の【は号】陪塚として治定されています
※陪塚(ばいちょう)とは
大型の古墳の周囲に隣接する小さな古墳で、大型の古墳に埋葬されている人物に関連のある人(親族や臣下)が埋葬されていたり、副葬品を埋納するために造られたと考えられている
墳丘については詳しい調査は行われていないみたいですが、濠から出土した埴輪などから5世紀後半に作られた古墳であると推定されています
古墳の墓守をしていた人がキツネを助け、その墓守がある時泥棒と対峙して濠に落とされてしまったけど、そのピンチを助けたキツネによって救われ、翌日に濠の中でキツネが亡くなっていたという話から、この古墳が狐山古墳と名付けられたそうです
という情報をネットで見つけましたが本当かどうかはわかりません(笑)
実際に訪れてみると、濠はなかったけど墳丘のこんもり具合から古墳であるとわかると思います
【行き方】
JR阪和線【百舌鳥駅】より徒歩
こちらも一部を復元 竜佐山古墳
孫太夫山古墳のすぐ西にある古墳です
堺市HP、案内板、もず・ふるカードによると
【名称】竜佐山(たつさやま)古墳
【陵墓名】仁徳天皇陵ろ号陪塚
【所在地】大阪府堺市堺区大仙中町
【形状】帆立貝形古墳
【墳丘長】61m
【築造時期】5世紀後半~末
もず・ふるカード 表
もず・ふるカード 裏
宮内庁により仁徳天皇陵【ろ号】陪塚として治定されています
※陪塚(ばいちょう)とは
大型の古墳の周囲に隣接する小さな古墳で、大型の古墳に埋葬されている人物に関連のある人(親族や臣下)が埋葬されていたり、副葬品を埋納するために造られたと考えられている
前方部と周濠は復元されたもので、後円部は宮内庁、前方部及び周濠は堺市が管理しています
前方部と周濠は2016年4月11日に堺市の史跡に指定されています
この古墳について詳しい事はわかっていないようですが、壕から出土した埴輪の特徴から仁徳天皇陵古墳の後に造られた古墳であることが判明しているそうです
実際に訪れてみると、大仙公園にある整備されている古墳で見学もしやすいです
まぁこれといった特徴はないですが(笑)
【行き方】
JR阪和線【百舌鳥駅】より徒歩
一部を復元 孫太夫山古墳
仁徳天皇陵古墳の拝所のすぐ南にある古墳です
堺市HP、案内板、もず・ふるカードによると
【名称】孫太夫山(まごだゆうやま)古墳
【陵墓名】仁徳天皇陵い号陪塚
【所在地】大阪府堺市堺区百舌鳥夕雲町2丁
【形状】帆立貝形前方後円墳
【墳丘長】65m
【築造時期】5世紀中頃
もず・ふるカード 表
もず・ふるカード 裏
宮内庁により仁徳天皇陵の【い号陪塚】に治定されており、前方部と周濠は堺市の史跡に指定されています
※陪塚(ばいちょう)とは
大型の古墳の周囲に隣接する小さな古墳で、大型の古墳に埋葬されている人物に関連のある人(親族や臣下)が埋葬されていたり、副葬品を埋納するために造られたと考えられている
本格的な発掘調査は行われていないようで、後円部が宮内庁、前方部と周濠が堺市の管理となっているようです
壊れていた前方部は大仙公園が造成された時に復元されたみたいです
実際に訪れてみると、大仙公園内の周囲の緑と同化していて古墳とはわかりにくい感じがしました
壕があるのでまぁ古墳かなぁとわかるかな(笑)
【行き方】JR阪和線【百舌鳥駅】より徒歩
百舌鳥古市古墳群の代表格 仁徳天皇陵古墳
言わずと知れた日本一の大きさを誇る古墳です
Wikipedia、堺市HP、案内板、もず・ふるカードによると
【名称】仁徳天皇陵古墳
【陵墓名】仁徳天皇百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)
【別称】大山古墳・大仙陵古墳
【所在地】大阪府堺市堺区大仙町
【墳丘長】486m
【築造時期】5世紀中頃
もず・ふるカード 表
もず・ふるカード 裏
仁徳天皇陵古墳については書く事がありすぎて、考えるにつれて何から書いたらいいのかわからなくなってしまったので、とりあえずWikipediaのリンクを貼っておきます(笑)
実際に訪れてみると、応神天皇陵も大きいなぁと感じたけれども、それよりもさらに圧倒されるさすが日本一の大きさを感じることができました
ボランティアのガイドさんも何人かおられたり、日本人や外国人観光客も多く来られていたり、やっぱり日本一は別格ですねぇ
観光客で賑わっているのは百舌鳥古市古墳群の中でもココだけですね
拝所の周囲には観光案内所や駐車場も整備されています
時間があったので古墳を1周してみましたが、所々に上の写真のような案内板が設置されていて、一部遊歩道が整備されている箇所もあって、地元の人たちが古墳の周囲をランニングやウォーキングしている姿を多く見かけました
さすが日本一、なかなか歩きごたえありましたよ
【行き方】
JR阪和線【百舌鳥駅】より徒歩